第82回 松山小型映画草分け時代
昭和7年(1932)頃と言えば、松山に小型映画がやおら台頭し始めたころである。
先ごろ、その遺作が発見された岡本達一氏らとともに、動く写真に熱をあげたのが富田狸通さん。
劇場映画に負けず劣らず、台本に懲り、出演女性をくじ引きで割り当て、監督ぶりを発揮したものだ。
劇場映画の影響もあったが,小津安二郎伊藤大輔ばりの演出も・・・。
アマ映像作家のなかにあって、真面目を発揮していたのが富田狸通さん。今も当時の台本がのこっているが、そのシナリオは本格的であるし、タイトルにしてもタダものではない。
左 岡本達一氏 右  富田狸通氏
その玄人はだしの狸通さんをつかまえて,演出して作ったのが拙作「あるや昔」。
ここでは、主役の狸通さんに眩暈(めまい)を演技させたのだ。「ワシが目ぇ回すんか」。不満げであったようだが、畳の上にごろんとコロンでくれた・・・が。
その画面には、狸通さんの大事なコレクションである『たぬき』がいっぱい収まったガラスのケースが写りこんでいた。
富田狸通さんには一時期「エヒメ8ミリクラブ」の会長のご厄介をお願いしたこともある。
上田雅一のシネマなページ