| 第46回 『暑中見舞』 |
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| この暑中はがきには聊か注釈が必要である。画面中央のイラストは昭和初期の、所は札の辻にあった我が家と、その並びの家々である。 |
| このあたり一帯は幼少時の遊び場。電柱が「陣取り」の砦であり、白壁の塀は「人馬(じんま)遊び」(シカシカナンボ)の溜まり場だ。 |
| ジャンケンに負けた子が、壁や柱に背をもたせて立ち、別の子がその股に頭を突っ込んで「馬」になる。ジャンケンに勝った子が、その背に馬乗りになって、片手の何本かの指を出して、その数を「馬」になった子に当てさせる。その数が当たるまで、この馬乗りを繰り返す遊びである。 |
| 子供らは堀端側から、堤に向けて石投げを競いあったし、夏の夜は花火を揚げ飛ばした。 |
| その光景をヒントに伊丹万作は「花火」を監督第一作とした。伊丹ら仲間は八束清方に集い、文学を論じ、音楽に興じ、絵筆に親しんだ。重松鶴之助の絵は全国的にも嘱目されたが、左傾弾圧を受けて惜しくも中絶。 |
| 中村草田男、伊藤大輔も同じ仲間。やがて京に出た八束は、湯川秀樹ら学者達を世に送り出す学術雑誌編集という影の大仕事を成し遂げたのであった。 |
| こうした有名、無名の人物たちがこの界隈から巣立っていったのである。 |