第41回 『拙講拙話』
 自分自身、自認するほどに口下手な私なのに、このところしばしば講師の大役を仰せ付かる事が多い。
 かてて加えて浅学非才なため当の本人は困惑してしまう。
 それでも見こまれた以上は何とか大任を果たすべく、草稿作りに取り掛かるのである。種本の引き写しや、書誌からの孫引きは極力さけ、新知識、独自意見の開陳こそ第一義と。
 このたびも用意おさおさ怠りなく、聴講の方々居並ぶ席に立ち向かった。
 机上のメモは度外視し、さも能弁げに講話(?)したのであったが、諳じた原稿は、肝心な章句を脱落していた、それも気付いたのは終会後であった。
 「よい話でした」とか「知らなかったことで有益でした」とか「また、聞かせてください」などなど聴講の人たちが、お世辞まじりの賛美を寄せてくれても、講師たるものまことに忸怩たる思いであった。
講話の骨子は、宝厳寺の一遍木像に関わる修復とその絵巻についてであった。
筆者座談中
愛媛県文化振興財団「文化愛媛」特集
http://www.ecf.or.jp/bunkaehime/tokusyuu/tokusyu50/tokusyu3.html
「映画人・伊藤大輔」 上田雅一
上田雅一のシネマなページ