| 第37回 『岡本達一』 |
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| 「この松山こそが8mm映画発祥の地じゃけんな。これだけは覚えとぉきな。忘れたらいかんぞな」 |
| 第一次愛媛8mmクラブの会員で作品も数多く残している富田狸通さんは常々口にしていたが。 |
| 昭和初期の松山小型映画界は意気軒昂、国の内外のコンテストに有名を馳せていた。 |
| 国内コンでは富田狸通、野口麗光、井上宗一、高橋勇雄、高須賀長雄、横山亮太郎らがその腕前を競っていた。なかでもリーダー格の岡本達一の場合は群を抜いていて、1932年以後、「子守唄」(米)、「早春」(仏)、「友情」(米)、「悲しき秋」(ブダベスト)、「逝く秋」(米)、いずれもが最高位受賞。 |
| 霜雪60有余年、今は亡き映像作家岡本達一氏の遺作は何処にありや。 |
| 手を尽くし八方を捜し求めているが、その在りかは不明なのである。 |
| 自作品に執着せず、その遺作の処置は一切人任せとされいた為、何処に消えたかが判然としない。 |
| 島根か、鳥取の好事家のもとにあるのでは、そうした噂を信じて同地方の報道関係機関の協力を仰いで捜し尋ねても、色よい反響は得られなかった。 |
| 歴史的にも貴重なフィルムは何処に。心あらば伝えてよ、その在り場所を・・・ |
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| 左から 岡本達一氏 富田狸通氏 |