第27回 『目玉の松っちゃん』
 幼児期、馴染んだ活動写真の花形は、尾上松之助、人呼んで「目玉の松っちゃん」は出演回数一千回の記録保持者。そのうち約300本を撮影したのが高知県出身の川谷庄平カメラマン。
 彼、川谷氏はその後、中国大陸に渡り、朝日・毎日映画通信員、PCL:その多彩な人生行路を経て1945年帰国。
 1968年、小天主復元工事を私と同時進行で撮影していた、市委嘱の井上プロのスタッフ川谷老と現場で出会ったのが初対面だった。
 「あのころはカンでカメラを回していたに変わらん」その昔、旧劇と呼ばれていた松之助時代を懐古して語った。
 それより数年前、川谷の長男庄一とは8mm映画を通じ親交があった。自作ミニチュアの戦車を爆破したり、制作した模型の戦闘機が大きすぎ、一部壊して戸外に出したなどの失敗談を持つ「阿里山の三少年」がコンテスト受賞するなどと話題は豊富。
 「息子はよほどの奇跡が起こらない限り、助かりません」初対面の父庄一氏は力ない口調で告げたが、その年の末、その言葉通り「奇跡」は起こらなかった。
 あたかも松山城築城400年の記念行事最中の今年こそ、井上プロが34年前に撮ったフィルムのリバイバル上映が望まれる。
上田雅一のシネマなページ