第24回 『人間臭さ』
 2002年3月26日付けの愛媛新聞に「えひめの偉人伝」として「学者育てた編集者八束清」が紹介されたが、いまでは鬼籍の人ながら、この人物は生涯の陰のひと、「黒子」に徹した人であった。それだけに生前の功績を称えた記事は意義があった。
八束清氏
 去る5月11日、「松山読書振興会」の席で、この八束清氏について私の知るところを披瀝して、偉大な偉人という堅物ではなく、親しめる人間臭さの持ち主でもあったことを報告した。
 松山札の辻の住まいが、伊丹万作、重松鶴之助、中村草田男らの寄り合うサロンであったこと、その当時の見聞が伊丹の映画で生かされたこと、彼ら油絵寄せ書きが屋根に揚がると、美術雑誌「アトリエ」が紹介したこと、のち京都に移った八束を芸者が慕い追ったこと、など人間臭いことまでも語ったのは、十五歳年下の私が、時として小言を言われ、叱責受けながらも、親しく接し、指導訓育をあおぐ恩人であったからである。
 おそらくは冒涜とはなるまい。「ゴシップばっかり知っとるのォ」と彼なら笑殺してくれるに違いない。
上田雅一のシネマなページ