| 第5回 『オリバー・スタットラー氏』 |
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| 四国遍路の熱心な外人研究家は大正時代にもいたが、オリバー・スタットラーさんも熱烈な空海の信奉者であり、歩き遍路実践者である。 |
| 彼スタットラーさんは戦中日本に進駐してきて、日本の歴史に魅了され、戦後も長く滞在し「下田物語」、「ニッポン・歴史の宿」更には「四国88札所」などを上梓したし、米国各地の学園で四国巡礼について巡回講演を度重ねた。 |
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| オリバー・スタットラー氏 |
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| 1980年春、スタットラー氏構成のシナリオに従い、第20番鶴林寺山麓の那賀川に架かる橋上より撮影開始。橋上を行く白衣のロングショットからクランクイン。折りからの篠つく雨こそ幸いなり、外人監督は内心嬉々たる面持ち。大竜寺の山坂を臆せず登る。頭上にかぶさるあせび、濡れ光るあせび、黒文字の葉っぱ、エキストラの俄か遍路は泥濘道に辟易大いに不満、私は全身ずぶぬれの体たらくなれど、カメラは濡らさじ、長回しの移動撮影。これぞ千載一遇のチャンス、監督も想いは同じ。 |
| 恐らくは彼スタットラーも私同様、幼少の時代、サイレント映画にうつつを抜かし、連続活劇もののエディポローに憧れ、ターザン映画に興じたに違いない。 |
| 幸いフィルムは湿潤劣化の異常もなく、苦心の映像約150フィート(12分)は迫真の記録を写し撮っていた。 |
| 日米合作フィルムは斯くして完成。彼の講演旅行に随行して、全米各地の学園を巡り巡ったのであった。 |