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| 第1回 『活動写真』 | |||||||||||||||||||||
| 晩年の正岡子規は長い年月の間、病床にあった。そのため、町の有り様や人々の様子は新聞か、来客の話で聞き知るしかなかった。子規の遺した『病牀六尺』に見たい知りたいものを幾つか書き付けているが、その筆頭に「活動写真」を挙げている。 | |||||||||||||||||||||
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| まだ映画も初期の明治42年当時の海南新聞に載っていたこの句は、当時の活動写真の雰囲気をある程度伝えてくれる文芸ではなかろうか。活動小屋玄関の呼び込みとざわめき、場内では和洋合奏活弁の声色に酔う観客の吐息。果ては画面変転に興ずるどよめき。臥床のひとは想いを巡らしていたに違いない。節穴から差し込む光線が、障子に逆写しする、戸外景色に心を慰め治めたものか・・・。 |
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